カトリック女子修道会 幼きイエス会(ニコラ・バレ)
カトリック女子修道会 幼きイエス会(ニコラ・バレ)
NEWS

神は、この上なく偉大な方であられるが、小さい人々の方へ喜んで身をかがめられる。
ゆえに、子を予定なさる時、子が人間となるだけでなく、幼な子となることを望まれた。

(創立文書より)

平和の掲示板

ある日の神父様の説教

「自分の脆さ、弱さを誇りましょう。時には愚かさも誇りましょう。神さまが働くのです。」

−第T・Uコリント パウロの言葉−

 イエス様が故郷に帰りましたが、受け入れられませんでした。そのことが、イエスにとってのターニングポイント(転換期)となったのです。イスラエル人は、奇跡を求め、ギリシャ人は理屈を求める。また故郷でもイエスの言葉が、人々の心に、響かなかったのです。
 十字架上のイエスの時もそうでした。イエスを見上げ、「ナザレのイエス、そこから降りて来い。それなら、信じよう。」 マリア様は違います。十字架につけられたイエスの前で気丈にも立っていました。十字架の下では、母は、泣き崩れて、気絶しかねない程のことです。「神さまにはお出来にならないことはありません。」この確信があったのです。しかし、多くのイスラエル人にとって、「ナザレ出身のイエス」は救い主だと受け入れることは難しいことでした。
というのは、「ガリラヤ地方」は、イスラエル人の中でも貧しい地方でした。その中でも「ナザレ村」は更に貧しい村でした。「メシアが出た。」という噂がたっても、「ナザレから良い者が出るものか。(ヨハネ1:46)」といったのも当然なのです。ナザレは、ガリラヤ人の最も貧しい村というレッテルを貼られていたのです。
 でも神様のなさることは違いました。パウロが言っているように、脆さ、弱さ、時には愚かさも誇りましょう。そんな時こそ神さまが働くのです。その最も小さな、貧しいところから、ベトレヘムで、馬小屋で、イエス様が生まれ、小さなナザレで育てられ、立派に成長したのです。 イエス様は、神の子、救い主です。それを信じましょう。神さまにお出来にならないことは1つもありません。

 
Copyright(c) IJNICO All Rights reserved.